オーストラリアにて  まとめ

長い人生、いろいろなことがありますが人との出会いは最高の財産です。
最後は重複するところもありますがまとめの意味で書いてみました。

オーストラリアとの出会いは多くの人たちとの出会いでもあった。
楽天家の子供2人と何とかなるさの母親が縁もゆかりもないシドニー空港に
降り立ったとき不安よりも未知への期待のほうが勝っていた。
根城となるアパートが決まるまで2週間もかかってしまったが不思議に焦りはなかった。おおらかなオーストラリアの空気が何とかなるさの私を心地よく包んでしまったからである。やっと決まったアパートはアジア人が多く住む地域だったが日本人はほとんど住んでいなかった。治安が悪いから日本人が住むノースのほうがいいという声もあったが良い町だった。
我が家の下に住むイギリス人のおじいさんはこどもの足音がうるさいと引っ越し2日目にして恐ろしい顔で怒鳴り込んできたが、仲良くなると阪神地震のときはいち早く情報を知らせに来てくれた。{この時は町のどこにいっても私が日本人だとわかると皆、心配してくれた。}近くの韓国人のおかみさんは私の夫が日本にいるとわかると痛く同情して買い物に行くたびにおまけをくれたり
手を握って韓国語と英語のミックスで慰めてくれるので、離婚した訳じゃないんだけどと思いつつ「カムサハンミダ」と手を握り返した。儒教の国の人は情け深いのである。また、コーヒー店のおじさんは私が夫と離れているのを知ると訳をしきりに聞きたがった。なんて説明しようとか考えているとミッキーマウスのような顔をして「人間、だれでも言いたくないことがあるものさ」と頭を振りながらいった。フラッシュが壊れて修理を頼んだら「明るい外を写したら問題ないよ」と明るく私を説得したイラン人のカメラ屋さん。
こんな小さな町でも人々は楽しく触れ合って生きている。お国柄の違いはあったとしても、行き着くところ皆同じ地球人なのだ。億の人間が住むこの地球で
同じ時代を生きている私たちが互いに出会えるのは、砂の中から何かを探し出すのと同じなのかもしれない。
もし、あの時がなかったら...もし、勇気をだして話しかけなかったら...
もし、時間がずれていたら...出会えなかった人たちだったと思うと不思議であるが、あれはすべて神様が用意してくださった出会いだったのだろうとしみじみ思うのである。

仰天オーストラリア
噂には聞いていたけど、食器を洗ってすすがない!泡のまま布巾できれいに
ふき取ってしまうのだ!こっ、これだけは納得できませ〜ん。